法話 求める心

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法話集
今年も暑い夏がやってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

お寺のほうでは、この夏の厳しい暑さの中、お盆の棚経参りで忙しい日々を過ごしております。

 

さて、碧巌録とよばれる禅の語録の中に「洞山無寒暑」とよばれるお話がでてまいります。

ある時、洞山良价禅師に一人の僧侶が質問をします。

「寒い時暑い時が来たら、どのように回避しましょうか」

それに対して、洞山禅師は、

「寒い暑いのない世界に行ったらよいではないか」と答えます。

それを聞いた僧侶は、

「その世界とはいったいどこにあるのでしょうか」とさらに質問をしました。

すると、洞山禅師はこう答えられたのです。

「寒い時は、寒さで自分を殺し、暑い時には暑さで自分を殺す。」

洞山禅師は、暑さ寒さを回避していく、暑さ寒さのない世界へ行くには、

「暑さ寒さで自分を殺しなさい」といわれています。

殺すと言いますと随分物騒ですが、この洞山禅師がいわれた「自分を殺す」とは一体どういうことでしょうか。

 

私が修行道場で修行をさせていただいていた頃のお話です。

私が、今年のような厳しい暑さの中、お盆参りのため、檀家さんのお宅を何十件もお参りしておりました。

檀家さんのお宅へ伺うと、クーラーや扇風機をつけられたりして、暑い夏でも僧侶がお参りしやすいように部屋を涼しくして檀家さんが待って下さっていました。

しかし、そんなお盆参りの中、クーラーも扇風機も何もつけられていないお宅がございました。

私がそのお宅のお仏壇の前でお経をお読みしておりますと、暑さでじわじわと汗が出て、私の頭から背中の方へと汗が流れてまいりました。

すると、お経を読んでいる私の心の中に「暑いなあ。」という思いが次第に大きくなってまいりました。

どうにかお経をお唱えした後、私は、檀家さんと少しお話をしました。

私が、「今年の夏は暑いですねえ。」と言いながらハンカチで汗を拭いておりますと、

檀家さんは私にこうおっしゃったんです。

「暑い夏もまたいいものですよ。

私は、四季を感じられるように、この部屋にはエアコンをつけていないんです。

時より入ってくる風も心地よいじゃないですか。」

私はその言葉をお聞きして、ハッといたしました。

私には、夏でも涼しい部屋でお参りしたいという気持ちがございました。

暑い夏をそのまま受け入れられる自分でなければならないなあと自分の至らなさに気づかされたのです。

そう思った時、縁側から涼しい風がすうっと入ってまいりました。

その涼風に私の体はふっと軽くなって、暑さの疲れもどこかに飛んでいったようでした。

 

無門関とよばれる禅の語録に、こういう言葉がございます。

春に百花有り 秋に月有り。

夏に涼風有り 冬に雪有り。

若し閑事の心頭にかかる無くんば便ち是れ人間の好時節。

 

春には様々な花が百花繚乱として咲き誇り、秋は月が美しい。

夏は猛暑の中の涼しい風が心地よく、冬は雪景色が美しいのだ。

もし、つまらぬことをあれこれと考えて心煩うことがなければ、

いつでも人間にとっての好時節なのであるという言葉です。

暑い夏や寒い冬をそのまま受け止められる人は、どの季節も素晴らしい季節と感じられる人なのでしょうね。

 

最初にご紹介した禅問答ですが、

「自分を殺す」というのは、余計なことを考える自分を無くして、その時その時に徹していくこと。

そうすれば、いつでも素晴らしい時になる。

自分を殺していくことが自分を本当に活かすことになるんですよ

と洞山禅師は教えて下さっているように思えます。

また、この問答は暑さ寒さだけでなく、人生での様々な苦しみに直面した時の心構えも示して下さっているのです。

苦しい時には、あれこれと思い悩む自分を無にして、その苦しさを受け入れて、

その自分に徹して生きていくことが、その時の自分を本当に活かしてくれるのではないでしょうか。

 

それでは最後に、加島祥造さんの著書「求めない」からの一節を御紹介します。

求めないー すると いまじゅうぶんに持っていると気づく

求めないー すると いま持っているものがいきいきとしてくる

 

私達が悩む時には、求めすぎているのが原因かもしれません。

そんな時は、心の中で「求めない」と自分に言い聞かせて、心を軽くして日々を過ごしていきたいものです

(「仏心」平成二十三年八月号原稿 觀音寺副住職)

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