法話 ともだち

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法話集
ともだちは ばかみたいに わたしをわらう

ともだちは すごいかおで わたしをにらむ

わたしも ともだちを わらってやる にらんでやる

そのあとで またあそぶ わたしたちは ともだち

出典 / 谷川俊太郎 著「ふじさんとおひさま」(童話屋)

 

子供同士が出会うと、一緒に遊びはじめてすぐに友達になれます。

時にはケンカして大声で泣いたりしますが、少し時間が経てば、また一緒に仲良く遊んでいます。

子供たちは、すぐに相手と心が通い合い、心の底から笑い、心の底から怒る。まさに天真爛漫です。

 

私にも保育園へ通う息子がおります。朝、息子を保育園へあずけに行った時のことです。

息子が保育園のおもちゃで遊んでおりますと、そのおもちゃを保育園の友達にとられてしまいました。

すると、息子はすごい顔をして友達を追いかけていきます。

そして、おもちゃの取り合いのケンカをして、息子は大声で泣いています。

私はそんな息子を見てかわいそうに思いました。

しかし、少し経ちますと、その友達とケラケラ笑いながら仲良く遊んでいるではありませんか。

ついさっきまでケンカしていたのに、もう仲直りしたのかと驚かされました。

そんな子供たちの姿を見てうらやましく思うのは私だけでしょうか。

 

とんちで有名な一休禅師の歌にこういう歌がございます。

「生まれ子がしだいしだいに知恵つきて仏にとおくなるぞ悲しき」

 

大人たちは、成長していくうちに知恵をつけて、人の機嫌をとるために愛想笑いをしたり、また、腹の立つことがあっても表面では怒らないふりをしたりします。

ですが、いつまでも根にもって、なかなか相手を許すことができないものです。

しかし、子供たちは、過去のことにとらわれないで、すぐに相手と打ち解けられる自由な心を持っています。

その心こそ仏の心なのではないでしょうか。

 

仏とは心がほどけた人。その時その時の楽しいことも腹の立つことも心にため込まないで、すぐにほどいて、相手と打ち解けていける人のことです。子供たちの姿は、そんな仏の姿なのです。

私たち大人も、子供たちの純粋な姿に教えられながら親として成長し、子供たちの手本となるような大人になっていきたいものですね。

(妙心寺派教化センター「読み聞かせと法話の詰め合わせ ねぇねぇよんで パート2-自灯叢書(26)-」

原稿 觀音寺副住職)

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