阿難尊者 涅槃図法話

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法話集
阿難尊者は浄飯王(釈尊の父)の弟、甘露飯王の子で、釈尊の従兄弟にあたりますが、

年齢は三十歳ほど離れていたといわれます。

 

釈尊には優秀な弟子が数多くいて、次々と悟りを開かれます。

その中で、阿難尊者は、釈尊のそばに二十五年間つかえ、多くの教えを聞かれました。

そのため、近侍第一、多聞第一といわれます。

多くのお経は、「如是我聞(かくの如く我聞けり)」という言葉で始まりますが、

その「我」とはほとんどの場合、阿難尊者を指します。

それほど多くの教えを聞かれた阿難尊者ですが、なかなか悟りを開けません。

そうするうちに、釈尊の命がもう長くないことを知り、大いに嘆き悲しみます。

それを見た釈尊は、

「悲しむな。諸行は無常であると私は説いたではないか。

お前は私によく仕えてくれた。修行せよ。速やかに悟りを開けるだろう」

と励まされました。

 

私はこの阿難尊者を見ますと、修行でご指導くださった老師を思い出します。

老師と私とは、親子ほど年が離れておりましたので、偉大な師匠でありますと共に、

第二の親のように感じておりました。

その老師が突然お亡くなりになったのです。修行道場では皆が泣いておりました。

もっと長生きしていただきたかった、ご指導していただきたかったと嘆きました。

それから毎年、老師のお墓にお参りします。

老師のお墓の前に立ちますと、いつも涙がこみあげます。

そんな私に老師は「悲しむな。修行に励みなさい。」といわれている気がするのです。

 

涅槃図では泣き崩れひれ伏す阿難尊者の姿が描かれていますが、

その後、阿難尊者は懸命に修行しついに悟りを開かれ、

残された弟子たちと共に釈尊の教えをまとめ後世に伝えられました。

そして、四十五年もの間、教団の中心的存在として布教されたといいます。

 

私達も、大切な人といつか別れねばなりません。

私達にできることは人間として成長していく姿をお見せすることではないでしょうか。

(臨黄ネット 平成二十四年一月掲載原稿 觀音寺副住職)

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