座禅会 好き嫌いにとらわれない

3月に入り、すっかり春めいてまいりました。
境内の梅、早咲きの河津桜、色とりどりの椿、春の花々が次々と咲いております。


さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。
初参加の方、2名を含め、15名の方がご参加くださいました。
今月もご参加いただきありがとうございました!

今回も、ソーシャルディスタンスを確保し、マスクを着用していただきました。
お経のほうも、参加者の皆様には黙読していただき、私はマイクで唱えさせていただきました。
そして、25分の座禅を2セットした後、マイクで、お話をさせていただきました。
本日のお話は、白隠禅師の逸話と「信心銘」のお話。
江戸時代の禅僧、白隠禅師がいる駿河(静岡県)の松蔭寺に新入りの2人が入門しました。
白隠禅師は言います。「貧乏寺で、おまえ達の食べる物がないから、明日から托鉢に行け。」
しかし、翌朝は激しい雨で、2人は仕方なく雨のやむのを待っていました。
すると、竹箆を持った白隠禅師が登場します。
白隠禅師「おまえたち、ここで何をしておるのか!」
新入り2人「風雨が激しいので、どうしようかと迷っていたところです。」
白隠禅師「このいくじなしめが!東海道を見ろ。雨が降っておっても行き来する人はいくらでもおるわ。早く托鉢してこんか。ぐずぐずしていると打ちのめすぞ!」
2人は急いで走り出て、笠とカッパを着け、雨の中を村へ托鉢に出ました。
それからは懸命に托鉢して、米麦7,8升をいただいて、夜にお寺に帰ってきました。
それを見た白隠禅師は、うれしそうに言いました。
「おまえたち、これからもこのようにやっていくのだぞ。」
禅宗の三祖、僧璨(そうさん)禅師の書かれた「信心銘」にこういう言葉があります。
「至道無難 唯嫌揀擇 但莫憎愛 洞然明白」
至道無難、仏の道は難しいことはない
唯嫌揀擇 (唯だ揀擇を嫌う)、 ただえり好みをしないことだ
但莫憎愛( 但だ憎愛なければ)、ただ憎いとか好ましいとか思う事がなければ
洞然明白( 洞然として明白なり )、心はからりとして真理ははっきり現れている
私達が物事を判断する時、こっちが良くてあっちが悪いと、区別して判断していきます。
さらには、好き嫌いの思いを起こし、それにとらわれ、心が曇り、物事をありのままに見れなくなります。
そこで、 僧璨禅師は言います。
仏道はただ、物事を対立的に分けようとしないで、好き嫌いの思いにとらわれないことだ。
そうすれば、心は一点の曇りもなくからりと晴れ、物事そのままをはっきり見れると。
新入り2人も、雨で托鉢は無理だ、大変だろう、嫌だな、そういう思いにとらわれたのでしょう。
そんな思いを起こさず、とらわれなければ、やるべきことは見えたはずです。
托鉢の出発時間に、笠とカッパを着け、サッと托鉢に出発できたことでしょう。
白隠禅師の厳しくも有難い指導を受け、2人は懸命に托鉢できました。
私達も、今日やるべきことに好き嫌いの思いが起きそうになった時には、
「よし!やるぞ!」と自らその思いを吹っ切って、一歩踏み出し、打ち込んでいきたいですね。
このような話をいたしました。
お話の後、参加者の皆さんには、お茶とお菓子をお持ち帰りいただきました。
来月も座禅会に是非ご参加ください!
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