座禅会 主人公で生きる

今年も早いもので半分が過ぎ、7月となりました。
先月はあじさいの季節で、あじさい祭りを開催いたしました。
あじさいは、花後すぐが剪定の適期なので、来年に備え、今月初旬に剪定いたしました。
風鈴祭りのほうは、お盆の8月16日まで開催しております。
さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。
今回は、初参加の方、7名を含め、24名の方がご参加くださいました。
たくさんの方、ご参加いただきまして、ありがとうございました!

25分の座禅を2セットした後、お話をさせていただきました。
本日のお話は、主人公で生きるというお話。
坐禅の前にお唱えした、白隠禅師坐禅和讃の冒頭にこうあります。
衆生本来仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。
私達は本来仏さんである。仏さんの心は柔らかい水のようである。
たとえ、氷のように心が固くなることがあっても、水のような仏さんの心が私達にある。
白隠禅師は私達が本来生まれ持った仏さんの心を水に例えています。
白隠禅師は臨済宗の禅僧ですが、時代を遡れば、中国の唐の時代の臨済禅師。
臨済宗の宗祖、臨済禅師の言葉に「随処作主 立処皆真」という言葉があります。
随処(ずいしょ)に主(しゅ)と作(な)れば、立処(りっしょ)皆(みな)真(しん)なり。
どこへ行ってもその場その場で主人公となれば、その人の立つ所はみな真実である。
ここで、主人公とは、自分と他人の区別のない、自我のない心、本来の自分をいいます。
外の世界のものを映す仏心(鏡や眼鏡のレンズ)が透明のままなら、そのまま真実が見えます。
主人公が常に働いていれば、その人の行動は常に正しい。
でも、仏心に自我(自他や損得を考えた色、曇り)が覆えば、真実が見えません。
主人公が自我に負けると、外の世界の真偽を見間違え、自己中心的な行動も取ります。
大切な自分の家にゴミを投げ捨てる人はいませんし、自分の家族も大切に思うでしょう。
主人公となれば、観光地に行っても、自分の家のように、きれいに大切にします。
年配の人と接する時は自分の祖父母のように接し、小さい子供には自分の子供のように接する。
臨済禅師は、主人公がいつでもどこでも働くように過ごしなさい。
白隠禅師は、本来の水のように柔らかい仏心で生きなさい。
こうおっしゃっていると思います。
日々の生活では、外の世界のものを見て、自我が邪魔して、つい流されがちです。
本来の自分(自他を考える前の、自我のない無心の心)、主人公で過ごしていきたいですね。
このような話をいたしました。
お話の後、参加者の皆さんには、お茶とお菓子をお持ち帰りいただきました。
来月は、お盆のため、座禅会はお休みです。
次回は、9月の第2土曜日です。是非ご参加ください!
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