座禅会 重い荷物を下ろす
12月に入り、寒さが身にしみる日々となりました。
境内のモミジやドウダンツツジもすっかり落葉いたしました。
さて、本日は、毎月恒例の第2土曜日の坐禅会が開かれました。
今月は、初参加の方4名を含め、19名の方がご参加くださいました。
お寒い中、ご参加いただきありがとうございます!
そして、いつものように25分の座禅を2セットして、茶話会です。
本日の話は、趙州(じょうしゅう)和尚の禅問答と雪竇(せっちょう)和尚の言葉。
中国、唐の時代の禅僧、趙州和尚にある僧侶が質問した。
「一から二が生じ、三が生じ、万物が生じる。その逆に、万物は三に帰し、二に帰し、一に帰す。このことも私は悟りを開いてよく分かりました。それでは、その万物の根源である一はどこに帰すのですか。」
趙州和尚は答えた。
「わしが昔、故郷におった頃、一着の衣を作ったのだが、その重さは七斤(3kg以上)もあったわい。」
自分の悟りというものにこだわる僧侶に趙州和尚が伝えたかったことは何でしょうか。
この禅問答をとりあげて、約200年後の北宋時代の禅僧、雪竇和尚は詩をつけました。
如今放擲西湖裏(今、すべてのものを西湖に捨ててしまった。)
下載清風付与誰(軽くなった船に、清風が吹いてくる。この風を誰かに分けてやりたい。)
下載清風(あさいのせいふう)は、船が荷物を下して追い風にのって船足早く帰っていく様子。
全てを捨てきった人も足取り軽くいけるのでしょうね。
今年の荷物をたくさん下して、来年もまた頑張っていきたいですね。
このような話をいたしました。
来年も坐禅会をよろしくお願いいたします!
本年もお世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。楽しみにしております。
本年も座禅会にご参加いただき、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
今月の坐禅会は父の葬儀があり、参加できませんでした。
今回の趙州和尚のお話を読んで、父を亡くした悲しみが幾分かやわらぎました。
荷物を下ろす=悲しみを全て捨てきる、とまではいきませんが父の死をそのまま受け入れ、
過大な悲しみは背負わず、今ここの自分を見つめて気持ちを切り替えるようにします。
余談ですが、葬儀の時の法話で、初めて坐禅会に参加した時に感じたことを思い出しました。
実家の菩提寺は浄土真宗ですが、臨済宗は念仏や祈祷等を用いず理論立てて考えるので、
宗教というよりは論理学や心理学に近いのでは?と私の仏教のイメージと違い驚きました。
自分の性格では臨済宗の考えが馴染みやすいかな、と感じています。
(もちろんどの宗派が正しく、誤りというものではないということは重々承知しております。)
来年もご指導、よろしくお願いいたします。
お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
悲しみを受け止めて、「今ここの自分」をしっかり生きていこうというお気持ちが伝わってまいりました。
禅は、世間では宗派の1つとみなされますが、宗派にもとらわれず、「心をととのえて」「ただ今、ここの、自分」をしっかり見つめて生きる道と思っております。
座禅会参加者の多くの方が浄土真宗の方と思いますが、禅を生活に活かしていただけたらと思っております。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。