座禅会 本来の自分で生きる

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10月に入りましたが、芙蓉の花がよく咲いております。

今年は残暑が長いためか、今も見頃です。

さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。

今回は、初参加の方4名を含め、14名の方がご参加くださいました。

ご参加いただきまして、ありがとうございました!

25分の座禅を2セットした後、お話をさせていただきました。

本日のお話は、白隠禅師坐禅和讃の話。

本日お唱えした白隠禅師坐禅和讃の中盤にこうあります。

「直に自性を証すれば 自性即ち無性にて」

本来の自分の性質(仏心)を自ら体験すれば

本来の自分の心は無の心であったと分かると。

この「無」は般若心経で出てくる「空」と同じ意味になります。

全ての存在はつながりあって無限の関係性の中で変化していく。独立して存在する自分は無い。

それが真実であるのに、自分と他人と完全に分け、自分ばかり愛したらどうなるでしょうか。

この世界を自分の得になるように、思い通りに、生きることはできません。

思い通りにいかない不満や怒りの心で、自分も苦しみ、他人も苦しめます。

それならば、この世界は皆がつながりあって生きているという法則に沿った心、

一人一人が自分と他人を分断しない心で生きれば皆が穏やかに過ごせるのではないでしょうか。

臨済宗の大本山妙心寺の管長をつとめた山田無文老師がこんなお話をされました。

若い頃、河口慧海老師の講義を受けて感激した言葉がある。

「この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへも跣足(はだし)で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである」

この世界を理想の天国にすることは、おそらく不可能である。

しかし、自分の心に菩提心をおこすならば、

人類のために自己のすべてを捧げることを誓うならば、

そして人類と自己とは別ものでないという知恵と愛情が自覚されるならば、

世界は直ちにこのままで天国になったにひとしい。

というのである。

この言葉が私の心に第二の転機を与えたのである。

白隠禅師坐禅和讃は、最後、こう締めくくられています。

「当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり」

(自分本来の心で生きれば)この場所は仏の世界で、この体は仏さんである。

自分の本来の心(=仏心、自他を分けない無心、空の心)で、日々過ごしていきたいですね。

そして、新総裁の高市さんには一部の方々優先の心でなく仏心で頑張っていただきたいですね。

このような話をいたしました。

お話の後、参加者の皆さんには、お茶とお菓子をお持ち帰りいただきました。

来月は、晩秋となりドウダンツツジの紅葉が見られると思います。

次回の座禅会も是非ご参加ください!

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