座禅会 雪を擔うて井を填む

立春を過ぎて、暦の上では春となりました。
例年は梅が開花する頃ですが、珍しい連日の雪で蕾のままです。
この雪の寒さに耐えて、梅の開花まであと少しです。
さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。
今回は、初参加の方を含め、11名の方がご参加くださいました。
雪が残る中、ご参加いただきまして、ありがとうございました!

25分の座禅を2セットした後、お話をさせていただきました。
本日のお話は、雪にまつわる禅語の話。
中国、宋の時代の禅僧、雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)禅師の言葉です。
「擔雪填古井」雪を擔(にの)うて古井(こせい)を填(うず)む
雪はとけてしまうので、雪をいくら入れても古い井戸を埋めることはできません。
しかし、そんな無駄に思えることをするのが禅者の生き方だと言われるのです。
日本の白隠禅師の「毒語心経」の言葉にも同様の言葉があります。
徳雲の閑古錐、幾たびか妙峰頂を下る。他の痴聖人を傭って、雪を擔うて共に井を填む
徳雲とは、華厳経で善財童子が訪ねた善知識の1人で妙峰山に住した和尚。
徳雲和尚は、使い古した錐のごとく忘れ去られ、悟り切った境涯で人知れず生きている。
しかし、妙峰山という安らかな地に留まらず、迷いのこの世界に下ってくる。
仲間と連れだって雪を擔うて井戸を填めている。
苦しんでいる人、困っている人がいれば、何度でも長い年月かけても助け続ける。
四弘誓願の「衆生無辺誓願度」数限りない人々を救い続ける誓願にも似た言葉です。
達成することはとても無理だと思える事も、心からやりたいと思う事はやっていきましょう。
私達の本来の心(持って生まれた仏性、仏心)が目覚めてしっかり働いている状態。
そんな心の状態、妄想を払いきった無心の状態なら無駄とか考えずにやり続けられるでしょう。
長い年月かければ、やっても無駄と思っていた状況が大きく変わっているかもしれません。
皆さんも一緒に、雪を井戸へ無心に投げ入れていきませんか。
このような話をいたしました。
お話の後、参加者の皆さんには、お茶とお菓子をお持ち帰りいただきました。
来月の座禅会は、早咲きの河津桜が開花している頃です。
是非また座禅会にご参加ください!
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