座禅会 幼子のように活き活きと

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10月中旬を迎えましたが、芙蓉の花がよく咲いております。

例年9月下旬頃によく咲いていたように思いますが、残暑が長かったためか、今見頃です。

さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。

今回は、15名の方がご参加くださいました。

今月もご参加いただきまして、ありがとうございました!

25分の座禅を2セットした後、お話をさせていただきました。

本日のお話は、白隠禅師坐禅和讃の話。

白隠禅師は、坐禅和讃の最初に、「衆生本来仏なり」と言われています。

私達人間は本来仏さんである。お釈迦様と同じ仏の心、仏の性質を持って生まれていると。

自分と他人とを分けないで、他人も自分のことのように思いやる心を皆、生まれ持っています。

幼い3歳くらいまでの子供は、自分と他人とを分けていないと言われています。

人間の脳は、左脳と右脳とがありますが、それぞれ働きが違います。

左脳:過去と未来。正しい間違い・良い悪いで判断。論理的に考え言葉を使う。

右脳:現在。物事をありのまま受け取り正しい間違いと分けない。映像で考え体の動きで学ぶ。

幼子は右脳優位で、過去を後悔せず、未来を不安に思わず、現在を活き活きと生きています。

しかし、幼子が成長し、左脳が優位になってくると、苦しみを自ら生み出してしまいます。

過去や未来を考えすぎて悩み、現在をしっかり生ききれません。

自分と他人を分け、自分が正しい、自分の得になるようにと、争ったり怒ったりします。

そんな私達に、白隠禅師は坐禅を勧めます。

坐禅で心が落ち着くと、右脳優位になり、考えすぎる心が変わります。

坐禅和讃の中盤には、「直に自性を証すれば」と出てきます。

自分自身が、自分の性質(仏さんの心)をはっきりと分かれば。

そして、坐禅和讃の最後は、「当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり。」で締めくくられます。

ここが仏の世界だった。この私が仏さんだったと。

仏さんの心は幼子のような心で、他人と分けた自分というものが無い心です。

自分と他人を分けないで、つながりあった存在として、他人が喜べば自分も喜ぶ。

自分が生きているのは現在だけで、現在だけを全力で生きていけばいい。

そんな、幼子のような心で、現在を、自分を、活き活きと生きれるのです。

普段の生活では左脳優位になりがちですので、坐禅をして心をととのえましょう。

現在を幼子の時のように活き活きと生きていきたいですね。

このような話をいたしました。

お話の後、参加者の皆さんには、お茶とお菓子をお持ち帰りいただきました。

来月は、晩秋となりドウダンツツジの紅葉が見られると思います。

次回の座禅会も是非ご参加ください!

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