座禅会 務めを作す

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5月も中旬に入り、すがすがしい新緑の季節となりました。

早咲きのアジサイの蕾もふくらみ、今年もアジサイの季節が近づいてまいりました。

さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。

このたびは、初参加の方8名を含め、23名の方がご参加くださいました。

初参加の方もたくさん来ていただき、ありがとうございました!

今回も、ソーシャルディスタンスを確保し、マスクを着用していただきました。

お経のほうも、参加者の皆様には黙読していただき、私はマイクで唱えさせていただきました。

そして、25分の座禅を2セットした後、マイクで、お話をさせていただきました。

本日のお話は、中国、唐の時代の禅僧、百丈和尚のお話。

お釈迦様が開いた仏教は、後に多くの人が心安らかになるための仏教(大乗仏教)ヘと展開しました。

その大乗仏教の中から、坐禅と悟りを重視する禅の流れがインド人達磨大師によって中国に伝わります。

中国禅宗の初祖となった達磨大師から数えて11代目が、臨済宗の宗祖、臨済禅師です。

その臨済禅師の師匠の師匠、達磨大師から数えて9代目の方が百丈和尚です。

この百丈和尚は、禅宗の修行者の集団規則「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)」を定めた方として有名です。

その中で、坐禅の修行のほか、作務(さむ)という肉体労働を日課として重んじています。

清掃、田畑の耕作、屋根や垣根の修理、薪の採取など、寺の全員が参加して分担して行うことになっていました。

修行僧を指導する老師となっても、百丈和尚は作務を日課として続けました。

しかし、80歳をすぎて高齢となった百丈和尚を心配した弟子が、百丈和尚の作務の道具を隠してしまいました。

道具がないので仕方なく部屋に戻った百丈和尚は、それから食事を取らなくなりました。

数日が経ち、心配した弟子が百丈和尚に、食事を取られない理由を尋ねると、百丈和尚は一言。

「一日不作一日不食」(いちじつなさざれば、いちじつくらわず。)

この言葉に、弟子は自分の愚かさに気づき、道具を戻すと、和尚は作務に参加し食事も取られるようになりました。

作務は、務めを作すと書きますが、その務めとは大乗仏教の流れをくむ禅では、自利利他の務めです。

自分自身の心の修行(日常の一つ一つを無心に行う自利の修行)でもあり、人の為に生きる利他の修行(自分は皆が安らかな仏さんとなれるように生きていくという誓いを持った利他の修行)でもあります。

百丈和尚は、弟子に禅の生き方を行動と短い言葉で指導されているように感じます。

私も無心に作務をして、皆さんがその姿やきれいになった境内を見て、心が仏さんに近づいていけますように、これからも頑張ってまいりたいと思います。

このような話をいたしました。

来月はアジサイの季節です。

あじさい祭り開催のため、6月の坐禅会は、第1土曜日に開催いたします。

また、来月の坐禅会も是非お越しください!

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