座禅会 経霜楓葉丹

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11月に入り、朝晩冷え込んでまいりました。

境内のドウダンツツジも紅葉しきっております。

さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。

このたびは、16名の方がご参加くださいました。

多くのご参加をいただきまして、ありがとうございました。

今回も、ソーシャルディスタンスを確保し、マスクを着用していただきました。

お経のほうも、参加者の皆様には黙読していただき、私はマイクで唱えさせていただきました。

そして、25分の座禅を2セットした後、マイクで、お話をさせていただきました。

本日のお話は、紅葉に因んだ言葉、「経霜楓葉丹」について。

霜を経て 楓葉(ふうよう) 丹(あか)し

幕末から明治初期にかけて活躍した西郷隆盛の言葉です。

薩摩藩の下級武士だった西郷さんは17歳から28歳まで無三和尚のもとに毎日通い禅に打ち込みます。

藩主島津斉彬公に見い出され重用されますが、斉彬公が亡くなると失脚し島流しに遭い、苦難の日々を送ります。

その後、呼び戻されて、薩長同盟成立、江戸無血開城、明治政府における活躍へとつながります。

そんな西郷さんが甥の市来政直の外国留学の際に書いた手紙の一節が「経霜楓葉丹」です。

いったん引き受けたことは貫き通せ。これまで保ってきた鉄や石のような胆力を保て。

豪傑は貧しい生活をした者の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。

雪に耐えて梅の花が麗しく咲くように。「霜を経て楓の葉が美しく紅葉するように。」

もし、この意味をよく知るならば、どうして自分の安楽を謀るような生き方ができるだろうか。

このように、西郷さんは、甥を励まして送り出しています。

困難を経験してはじめて、人の痛みを自分の痛みと感じられる人間性の深みが出てくるように思います。

陸軍大将となっても西郷さんは、重い荷車を引いている人を見ると、それを手助けして押したりしています。

自分の肩書にもこだわらず、よいと思うことをやっていった西郷さんは、美しい紅葉の姿に見えます。

自分の欲に忠実な生き方もあるかもしれませんが、そこから自由になった清々しい生き方をしたいものですね。

このような話をいたしました。

話が終わりますと、参加者の皆さんには、お茶とお菓子をお持ち帰りいただきました。

来月は、冬の季節になりますので、ストーブを準備いたします。

防寒のため、ひざ掛けをしていただいても結構です。

コロナの第6波が来ないで現地開催できますことを祈りながら、お待ちしております。

開催日が近づきましたら、現地開催かオンライン座禅会か、ホームページに掲載いたします。

来月もどうぞよろしくお願いいたします。

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