座禅会 自分のつとめ
7月に入りました。今年は、5月中旬から梅雨の季節が長く続いております。
6月から開催されたあじさい祭りも、七夕の日で最終日となり、後片付けをいたしました。
風鈴祭りのほうは、8月末まで続きます。
さて、本日は、第2土曜日で、恒例の座禅会を開催いたしました。
初参加の方、3名を含め、20名の方がご参加くださいました。
蒸し暑い中、ご参加いただきまして、ありがとうございました。
今回も、ソーシャルディスタンスを確保し、マスクを着用していただきました。
お経のほうも、参加者の皆様には黙読していただき、私はマイクで唱えさせていただきました。
そして、25分の座禅を2セットした後、マイクで、お話をさせていただきました。
本日のお話は、鼻水を垂らして芋を食べたことで知られる明瓚和尚の話。
明瓚和尚は中国の唐の時代の禅僧で、山奥で修行生活をしてして、その名は広く知られていました。
和尚のことを聞いた皇帝の徳宗は、是非、都に招きたいと使者を送ります。
使者は和尚のところに来て、「天子の詔である。都に行って恩に応えなさい。」と告げます。
しかし、和尚は芋を焼いていて、焼けた芋を掘り出して食べようとしているところでした。
和尚は、鼻水をあごまで垂らしたままで、何も答えようとしません。
使者は笑いながら、「ともかく、その鼻水をふいてはどうですか。」と言いました。
すると和尚は、「何でわしがわざわざ俗人の為に鼻を拭うような手間をかけなければならないのか。」
と言って、ついに都へ行くことに応じませんでした。
権力者に媚びへつらうことをしない明瓚和尚は、俗の世界にもとらわれず、鼻水が垂れていることにもとらわれず、無心に芋を焼いて食べるという禅の修行の真っ只中だったのかもしれません。
絵画にもよく描かれる明瓚和尚ですが、そのユーモアのある絵画の中に、和尚の境涯の尊さを感じます。
法句経の中にこういう言葉があります。
「たとい他人にとっていかに大事であろうとも、自分ではない他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。」
他の人のためにという気持ちも大事ですが、自分のつとめをおろそかにしては自分自身をしっかりととのえていくことができません。
自分の目指す目的やつとめをしっかりやっていくことが、他の人にも良い影響を与えていけるんじゃないでしょうか。
このような話をいたしました。
話が終わりますと、参加者の皆さんには、お茶とお菓子をお持ち帰りいただきました。
来月は、お盆の行事のため、座禅会はお休みです。
次回の9月の座禅会に、またお越しください!
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