座禅会 涼やかな心で

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あじさいの季節となりました。

昨年よりも早い開花状況で、ほぼ見頃になっております。

明日からあじさい祭り、風鈴祭りが開催されますが、開催前から参拝者の方が見にいらっしゃっていました。

さて、本日は、第2土曜日恒例の座禅会を開催いたしました。

初参加の方を含め、19名の方がご参加くださいました。

ご参加いただき、ありがとうございました。

今回も、ソーシャルディスタンスを確保し、マスクを着用していただきました。

お経のほうも、参加者の皆様には黙読していただき、私はマイクで唱えさせていただきました。

そして、25分の座禅を2セットした後、マイクで、お話をさせていただきました。

本日のお話は、風鈴にちなみ、風の字が入った「薫風自南来」という禅語をご紹介しました。

薫風(くんぷう)南より来(きた)る。

この語は、元々、中国の唐の時代の皇帝文宗の作った詩の前半部分に、側近の文人、柳公権が作った後半部分の転句です。

文宗は「人皆苦炎熱(人は皆、炎熱に苦しむ)我愛夏日長(我は夏の日の長きを愛す)」と詠むと、

柳公権は「薫風自南来(薫風南より来る)殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)」と付け加えました。

薫風は新緑の季節の風のこと、若葉の薫る風が吹いてくると宮殿は涼しささえ感じます。

この五言絶句は美句として有名となりますが、後の時代の詩人、蘇東坡がこの句を批判し、さらに四句を加えます。

天下万民は風が通らないような小さな家に暮らしているのですから、天下万民に思いを馳せ、薫風が来たって微涼を生ずるような環境を分かち合えるように、ご配慮いただきたいと。

蘇東坡によって、さらにこの句は有名となったのです。

その後、この句は、同じ宋の時代の禅僧の圜悟(えんご)禅師の説法で、再び登場します。

「「如何なるか是れ諸仏出身の処」と問われた雲門禅師は、「東山水上行(東山が水の上を行く)」と答えられたが、わしなら「薫風自南来(薫風南より来る)殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)」と答えよう。」

この説法を聞いていた大慧禅師が悟りを開きました。

この逸話によって、「薫風自南来」の句は、禅語としても、人々に知られるようになったのです。

最初は、暑い夏に吹く涼風という季節の情景を詠んだ句でしたが、仏の心、禅の心を表現した句にまでなりました。

圜悟禅師は、仏の心とは、炎熱のような煩悩も吹き飛んでいって、何のこだわりもない自由な涼やかな心境だといわれているのでしょうか。

こだわりを捨て去って、今やるべきだと思うことに自由な心で挑戦して打ち込んでいく。

コロナのことで将来がどうなっていくかは分かりませんが、あまり考えすぎずに、やっていきたいですね。

このような話をいたしました。

今回の座禅会では、参加者の皆様に願い事を短冊に書いて風鈴に飾っていただきました。

コロナ前の穏やかな日常に戻れるように祈りながら、日々の勤めに打ち込んでまいりましょう。

また、来月の座禅会もどうぞよろしくお願いいたします。

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