座禅会 無事是貴人

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11月に入り、紅葉の季節となりました。

観音寺では、モミジやドウダンツツジが紅葉しております。

さて、9日の第2土曜日には、座禅会がありました。

参加者の皆さんは、20名でした。ご参加ありがとうございます。

25分の座禅を2セットして、茶話会。

このたびも、やまだ屋さんから施菓をいただきました。

いつもありがとうございます。

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茶話会の話は、「無事是貴人」という禅語のお話。

この言葉は、お茶会などで床の間にもよく掛けられます。

何事もないことは貴いことだ、有り難いことだ、という意味にも思えますが、そうではありません。

この言葉は、臨済宗の宗祖、中国の唐の時代の禅僧、臨済禅師の言葉です。

ある日、臨済禅師が修行僧たちに向かって説法します。

「おまえたち、正しい人生観というものを持たなくてはならない。

周りのものに惑わされてはならない。無事是貴人だ。」と。

無事というのは、求めることが無い事。

外に向かって求めることが無い事が、貴い人、仏さんだ、と臨済禅師は言われます。

自分の外を見て、あの人みたいに格好良くなりたい、いい生活をしたい、素晴らしい人間になりたい‥‥

そんな外ばかりに求めている人は無事ではないんですね。心が安らかでない。

外に求める心が無くなった時に無事な人となるんです。

江戸幕末から明治の人で、守田治兵衛という人がおりました。

宝丹というコレラの予防薬を作った人として知られています。

彼は一時期事業に失敗し無一文となって、当てもない旅に出かけたことがあります。

彼は甲府の安い宿に泊まって、疲れた体を横たえた時に、枕屏風に書かれた言葉が目に止まります。

「裸にて 生まれて来たに 何不足」(小林一茶)

彼は心の中でこの句を何度も唱えて、はっと気が付きます。

「俺は元々裸で生まれて来たんだ。それが今、裸一貫になったからって狭い了見を起こすのは大間違いだ」

彼は急にすがすがしい気持ちになり、東京に戻って一から出直して成功をおさめました。

彼は外に求める事が無くなり、今の自分を認められた、無事の人となって心を安らかにできました。

求める事が無くなるというのは、一見消極的に思えるかもしれません。

しかし、自分が今精一杯頑張っている事を決して不満に思わない、今心が安らかである無事と、

この先自分をより一層向上させていきたいという精進の気持ちは両方大切にしていけます。

私も、今できる精一杯の自分を認めながら、精進を続けていきたいです。

このようなお話をいたしました。

来月の座禅会は12月。防寒対策をして是非お越し下さい!

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