座禅会 二つに分けない維摩居士

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本日、坐禅会が開かれました。

初参加の方、6名を含め、18名のご参加をいただきました。

25分の座禅を2セットして、茶話会。

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このたびも、やまだ屋さんから施菓をいただきました。

いつもありがとうございます!

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茶話会の話は、維摩居士の話。

維摩居士は、維摩経というお経の中に登場する在家の仏教信者。

深く仏教を体得していて、お釈迦様のお弟子さんからも、敬われると共に近寄りがたい存在でした。

そんな維摩居士がある時、病気になったので、お釈迦様は弟子達にお見舞いに行くように命じました。

しかし、弟子達は、行きたがりません。それは、これまでに維摩居士に厳しく諭された経験からでした。

舎利弗尊者はある時、林の中の樹下で坐禅していると、維摩居士がやってきてこういったのです。

「坐ることのみが坐禅ではないですよ。本当の坐禅は、俗世間において無心に生きることです。」

また、大迦葉尊者はある時、托鉢をしておりました。人の食事の残り物をいただく修行を熱心にされていましたが、貧しい人のいる所ばかりを托鉢していました。

貧しい生活をすることとなった因縁を断ちきるため、貧しい人ばかりに施す機会を与えようとされました。

そこへ、維摩居士がやってきてこういったのです。

「裕福な家を避けて、貧しい家ばかりに食を乞うていなさる。それは本当の慈悲心ではない。相手がどんな人であろうと、無心に托鉢をしなければならないのです。」

また、光厳童子という修行者はある時、お城から出ようとすると、維摩居士がお城に入ってこられました。

光厳童子「居士、どこからいらっしゃいましたか」

維摩居士「道場から来ました。」

光厳童子(道場とは、お釈迦様がお悟りを開かれたブッダガヤのこと、ここからはあまりに離れている)

光厳童子「道場とはどこの道場ですか?」

維摩居士「六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を行いながら、人々を教え導くなら、どんな行いも全てが道場なのだ。」

このように維摩居士から厳しく諭された経験からお見舞いをためらっていたのです。

結局、文殊菩薩が先頭をきってお見舞いに行くことになります。

静かな場所でばかり坐禅していた舎利弗尊者には、聖なる場所、俗なる場所と分けずに坐禅をせよと言い、

貧しい人にばかり食事を乞うていた大迦葉尊者には、貧しい、裕福と分けずに無心に托鉢せよと言い、

道場とは、修行をする決められた場所と思っていた光厳童子には、あらゆる仏教の行いをする全ての場所が道場なのだと言われた維摩居士。

名前や形などにとらわれて、善悪、聖俗、貧富、美醜など、物事を二つに分けて考えがちな私達に、

二つに分けて考えずに、無心に生きよと教えてくれています。

本日、皆さんが行った坐禅を、俗世間の中で無心に生きていくことに活かしていきましょう。

このような話をいたしました。

さて、9月30日(火)には、不動明王像の開眼法要が行われます。

9時に受付があり、10時から僧侶15名で法要を行います。

お弁当とお茶・記念品が出て、参加費は無料となっております。

皆様、ふるってご参拝下さい!

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