座禅会 仏のけいこ

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10月に入り、すっかり朝晩が肌寒くなりました。

境内のドウダンツツジも少しずつ色づき始めてきました。

さて本日は、第2土曜日で、毎月恒例の坐禅会が開かれました。

今月は、12名の方がご参加くださいました。

そして、いつものように25分の座禅を2セットして、茶話会です。

本日の話は、至道無難禅師の話。

白隠禅師の師匠のそのまたお師匠様が、至道無難禅師(1603-1676)。

ある日、懇意にしている商家へ行くと、たまたま大掃除の最中で散らかっていた。

それでも亭主と話していると、別の商家の使いが来て、紙に包んだ金を渡して帰った。

しばらく話して至道和尚が帰ると、亭主は金のことを思い出し、探すが見つからない。

そこで、至道和尚の所へ行き、「間違えて持って帰られたのでは。」と尋ねた。

和尚は、何も言わずに、それだけの金を渡した。

その後、数日して、商家で、なくなった金が出てきて、和尚の所へ急いで返しに行った。

和尚は、何事もなかったかのように、「そうですか。それはよかった。」と。

私達では、なかなか、至道和尚のようにはいかないかもしれません。

濡れ衣を着せられて腹を立て、謝られても許さずに根に持ったりと。

至道無難禅師の言葉に、こうあります。

「常に何もおもはぬは、仏のけいこなり」

「かしこきは わが身のための かたきなり おろかになれば すみよしの神」

知恵が付いて、自分の身びいきばかり考えると、かえって苦しみを増えてしまう。

知恵が付く前の心、自分と他人と分ける前の「無心」だと、この世は住みやすい。

何も思わないで坐る坐禅は、仏のけいこです。

日常でも、何か色々考え出した時は、「無心」を思い出していきましょう。

このような話をいたしました。

来月は、境内のドウダンツツジが真っ赤に紅葉している頃です。

また、来月の坐禅会も是非お越しください!

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2 Responses to “座禅会 仏のけいこ”

  1. はひ より:

     今回も法話を楽しむことができました。ありがとうございました。

    • 副住職 より:

      コメントありがとうございます。
      法話を楽しんでいただけて、よかったです。
      また、坐禅会でよろしくお願いいたします。

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