座禅会 一つとなってみる
3月に入り、季節も春となりました。
観音寺では、早咲きの河津桜も開花しております。
さて、本日は第2土曜日で、恒例の坐禅会が開かれました。
初参加の方を含め、22名のご参加をいただきました。
たくさんの方にお越しいただき有り難うございました!
いつものように、25分の座禅を2セットして、茶話会。
このたびも、やまだ屋さんから座禅会の皆様に施菓をいただきました。
いつもありがとうございます!
この日の茶話会の話は、森田悟由禅師と「洞山無寒暑」の話。
森田悟由禅師は、7歳で出家し、のちに永平寺64世貫首となられた高僧。
森田老師が65歳の時に、うなじに腫瘍ができ、大きな痛みを伴う大手術を受けられました。
治るかどうか分からないほどの大手術でありましたが、森田老師は痛みと一つとなって大手術を乗り切られ、術後は毎日坐禅を組まれて、ほどなく快復されたそうです。
その森田老師の姿に感じ入った病院院長は、自分の葬儀の導師を頼み、後に約束通り葬儀の導師を務めたという話です。
この話は、森田老師が、大手術に対するおそれ・痛み・苦しみというものを超えられ、痛みと一つとなられた話だと思います。
この「一つとなって乗りこえて生きていく」という話を聞いた時、「洞山無寒暑」の話を思い出しました。
中国の唐の時代の禅僧で、洞山禅師という方がいます。
ある時、洞山禅師にある僧がたずねました。「寒さ、暑さが到来した時に、どのように避けたらよいですか。」
すると、洞山禅師は、「どうして、寒さ暑さのない所へ行かないのか(行けばいいではないか)。」と。
不思議に思った僧はまたたずねました。「寒さ暑さのない所とはどこですか。」
その時に洞山禅師が言われた言葉は、「寒い時には寒さになりきり、暑い時には暑さになりきる。」です。
寒い時には徹底的に寒くなればいい、暑さと比べたりする相対的な寒さではなく絶対的な寒さのことです。
比べたりしない、好き嫌いしない、そんな余計な思いをさしはさまずに、今のことに一つとなって生きていく。
それが、寒さ暑さを超えた所だと洞山禅師は言われているのです。これが禅の生き方だと思います。
自分で余計なことを考え過ぎて苦しみが増さないように、なりきって生きていけば案外乗り切っていけることも多いはずです。
つらいことでも一つとなって乗り切ってまいりましょう。
このような話をいたしました。
来月は、桜が次々と開花し、遅咲きの桜も開花し始めるのではないかと思います。
是非、来月も坐禅会にお越し下さい!
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